2012/09/09

夕立
















 九月になったというのに相変わらず暑いです。流石に暑さの質は変わって来ていますがなにしろ湿気がたまらんです。
 私の大好きな荒井由美の古い曲『晩夏』なんかを聴きながらクールダウンという気にはなれません。(ほんとはお盆が過ぎた頃に過ぎ行く夏を愛おしみながら聴くのが常だったのですが、、、)


 話が逸れましたが、最近急に降る雨を『夕立』とは呼ばず、『ゲリラ豪雨』と言うようになって来ています。いや、その言い方の方が合っていると思うので文句が言いたい訳ではありません。



 が、 ちょっと思ったのです。『夕立』という言葉が通じなく時代が来るのかもなと。


 
 私はたまに落語(古典落語)を聞くのですが最初の頃、話の中にときどき登場する『へっつい』という言葉の意味が分かりませんでした。『かまど(竈)』という事なのですが、これを知った時に、

『うちのじいさん達はなんの引っかかりも無く理解出来たのだろうな』

と、思ったのです。(いちいち引っかかってたら落語は楽しめません)

 言葉はどんどん変化していきます。理屈では分かっているつもりです。
が、自分が使っていなかった『へっつい』は別として、私が子供の頃に使っていた言葉がこれからどんどん若い人達には理解出来なくなって行くのだろうなと強く思ってしまったのです。

 酔っぱらった頭でひねり出した、もうひとつの死語になりそうな言葉が『はたき』です。本屋で立ち読みをしてると店主にぱたぱたやられるあれです。実際ぱたぱたされた人は少ないでしょうが、それはその言葉が持つ(持たされた)イメージなのです。

『夕立』しかり、『へっつい』しかり、それぞれの言葉はイメージを背負っています。それが伝わらない時代、共有出来ていない人達にどんなに大声で叫んでも背負っているものを伝える事は出来ません。

 なんだかとりとめもなくなりましたが、歳とったってことなんだなと思う次第です。やれやれです。

Photo:Sep'12,oji,tokyo,japan

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